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私の起業ストーリー(2)

ピンボードの前の白シャツの女性

ピンボードの前の白シャツの女性

賢く美しく稼ぎたい女性をサポートする
天海宝晶です。

ちょっとよろしいですか?

子どもの頃から絵を描くのが好きだった私は、
美大受験をことごとく失敗し、10代で大きな挫折を味わい、
デザインの専門学校へ進みました。

絵本が大好きだったので、それに関わる仕事がしたかったのですが、
出版社はほとんど東京だったため、親に反対され断念しました。

あとから思えば、なぜあの時、親の反対を押し切ってでも
自分のしたいことをしなかったのかとも思いますが、
当時の親は絶対的な存在。特に父はとても厳しく、
結婚するまで家を出ることは許されませんでした。

「アルバムは絵本に近いから」という
「こじつけ」な理由で、専門学校の就職担当者に勧められ、
大阪にある文房具のメーカーに就職しました。

(余談ですが、この会社で営業を経験し脱サラした漫画家さんが、
この会社をモデルに連載漫画を描き、近年ではドラマや映画にもなりました。)

ああ、どんな楽しい仕事ができるんだろう・・・!
と、希望を胸いっぱいの入社式当日、「子会社出向です」と言われ
「え、しゅっこうって、何?なんか私、騙された?」と、
世間知らずの私は、いきなり社会の洗礼を受けました。

真面目で堅苦しい業界、
社員はみな丁稚(でっち←若い人はこの言葉も知らないですよね笑)感覚の
昔ながらの商店意識がはびこる古風な会社でしたし、

当時は、女性差別なんて当たり前の時代でしたから
(セクハラなんて言葉は当時はなかった…)
男に負けない!という「勘違い自立心」の生意気な私は
最初からすっかり異端児扱いでした。

3年我慢したら辞めてやる!と決意しつつも、
商品企画とデザインの仕事は楽しく、残業代が一円も出なくても
気にならないほど仕事に没頭しました。(若かったし!)

社員が少ないからという理由だけで、
1年目から新製品の担当を任せてもらいました。

次々ヒット商品を企画デザインして、仕事が俄然楽しくなってきます。
「いいデザイン」と「売れるデザイン」は違う、ということも理解しました。

でもやはり、女性差別やいじめは当たり前のようにありました。
社内表彰で他の人(男性)は全員10万円なのに私だけ3万円だったりとか・・・

デザイナーは社内で目立つので、女性社員からもすごく嫉妬されました。
女性からの嫉妬はトラウマになり、女性の集まりがずっと恐怖でした。

続く

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