親から受けた心の傷を「受け取る」とどうなる?
宝晶です。
ちょっとよろしいかしら?
親から受けた心の傷を「その傷のまま受け取る」と、どうなると思いますか?
実は、私はそれが今、すごく役に立っているんです。
私が幼い頃から、両親はいつも激しい喧嘩をしていました。
それが怖くてね。いつ喧嘩が始まるか、常に両親の顔色を伺っていました。
陰で殴られたり家から追い出される母親をオロオロ心配し(怖くて何にもできない)なのにその母に八つ当たりされ・・・(えぇー!)
書き出したらキリがないぐらい。
ま、要は親に振り回されっぱなしだった訳です。
小学校高学年ぐらいになると「離婚すればいいのに」って本気で思うほど冷めた子どもでした。
お蔭で「大きくなったらお嫁さんになりたい」なんて一度も思ったことなかったです。結婚はしましたけどね(笑)
両親と家庭環境を悲しみ憎み、親に感謝するなんてとてもできなかったな。(今も特別していませんが親子間は割と平穏)
でもね、この幼少期から成人になるまでに、いわば「親から長年受け続けた傷」が、いま、すごく役に立ってるんですよ。
それは、人の表情、気持ち、感情、発しているエネルギーの変化を微細に感じ取れること。
そして、人の話を、感情、エネルギーも含めて傾聴できること。
特に私の仕事においては、最強の能力じゃないかしら。
両親の顔色を伺い続けたこと
互いに口を聞かない両親の伝言役にされてたこと
親から強いられてきたことが、今、私のすごい能力になってる。
大人になって様々な経験を重ねていくうちに、長い間拒絶し諦め見ぬふりをして押し込めてきたその傷を、
私は「その傷のまま(←ココ大事)受け取る」ことができたんです。
「その傷のまま受け取る」大事なポイントだから説明しとこかな。
この経験は私のカルマ解消のためにある…とか、過去性でこれこれこうだった…とか「形を変えて受け入れる」のではなく、あくまでもその事実のまま受け取るってことです。
私の経験はカルマ解消のためだったかもしれないし、過去性で何かあったかもしれないし、それを否定はしません。
ただ、形を変えて受け入れると、癒しが起こるだけだと思うのね。
癒しが起こるのはとても素晴らしいし必要なことだけど、「その傷のまま受け取る」ことで、自分にとって《素晴らしいなにか》をさらに受け取ることができるなら・・・それこそが奇跡であり、深い癒しになるんじゃないのかな。
少なくとも私はそう感じます。
親から受けた傷がすべて能力に変わるとは断言しないけれど、その人にとって《素晴らしいなにか》を受け取る可能性があることは事実。
そして私は、その可能性に開いていたい。
なぜならそれは、他の誰かのすごい可能性を信じることにも繋がるから。
私が「その傷のまま受け取る」ことができたのは、そして《素晴らしいなにか》を受け取ることができたのは、「受け取る」ことを何度も繰り返し体感する「AFP(アート・オブ・フェミニン・プレゼンス)」を続けているから。
他人の機嫌を気にしすぎたり、人を信じられないこともあったけど、AFPを続けているお蔭もあって、それも今では、いいかげん=良い加減になってます。(鈍感力も身についてきたのかしら・・・)
受けた傷ですら、ありのまま受け取ることで《素晴らしいなにか》を受け取る。
そして深い癒しが起こる。
大げさでなく、これはサムシング・グレートの奇跡だと私は思います。
あなたはどうですか?
親から、あるいは誰かから受けた傷を「その傷のまま受け取る」ということをしたことがありますか?
それはどんな体験でしたか?
もし、誰かから受けた傷を「傷のまま受け取る」ことをしてみたら・・・どんな感じがしますか?
妄想してみてね。
よかったら、こっそり教えてくださいね。 →ココ